日曜日, 1月 06, 2008

用と美意識

昨年の暮れもギリギリに、なんとか会社の決算処理も終わり、
2008年を迎え、5日頃から動き出しています。
ここのところ、毎年、展望というか取組みをまずは考えるところからスタートしています。

タイトルにある‘用’というのは、
モノやコトをデザインしていく上での条件のようなもの。
用途とか機能とか。

造形を極力、シンプルにして
その機能や用途を浮かび上がらせる。
なんてことは、当たり前のようにやっているつもりですが、
機能美とか構造美ってのは
ただシンプルに‘用’のみを追い求める事じゃないって事を
改めて考えています。

あのパリのエッフェル塔の美しさは、
単純に構造のみを突き詰めていく過程において
必ず「美意識」があったのではないか?

よく、機能美なんていわれているプロダクトなどは
やはり美意識を持った上で、機能を追求するのではないか?

文化的だとか豊かさって、
ハッとしたり、ドキッとしたりする事って
けして金をかけて作り込む事じゃなく、
時間をかける事でもなく、
美意識を持って取り組む事なんじゃないかな。

全てのモノやコトにはデザインが介在しているって考えると
カタチにしていくなかでそれぞれに美学がなければ魅力が薄れ、
輝かないんじゃないかなって思います。
美術や芸術とは違う美学。
自身の美意識を今年もさらに磨いていき、
追求していきたいって思います。

ただただ単純に、
「あ、きれいだ」って思える事に
今年はどれだけ、めぐりあえるかな?

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

先日はコメントありがとうございました。
こちらのエントリーでは、今日自分が書いたエントリーと通じるところがあると感じました。

>美術や芸術とは違う美学。

美しいもの(美術や芸術)に敏感であるのに、醜いものに鈍感であっては、本当の美の意識とは言えないと思うのです。醜い物だらけでも気にならないという日本人の意識を改善して行かないと、本当の美は育って行かないと感じます。

深江章一 さんのコメント...

moritoさま
コメントありがとうございます。
美術や芸術ってのは、美や芸に対する術(すべ)であってマニュアルチックなイメージもあるんですね。
特にプロのクリエーターならば、その術を知識としてひけらかす事ではなく、知識として持っている前提でそれぞれに美や芸を磨きこむ意識みたいなものが必要じゃないかって思います。