月曜日, 5月 05, 2008

引っ越しました。

下記へ引っ越しました。
定期的に読んで頂いている方はブックマークなどの変更をお手数ですがお願いいたします。
http://ameblo.jp/fukae-web/

木曜日, 4月 10, 2008

新しい旅立ち。

久しぶりの更新になってしまいました。
実はここのところ、オフィスの引っ越しやらホームページの開設やらでバタバタしてました。
というのも、いままで自身のデザイン活動は法人という枠を自ら作り、可能性を模索してきていました。
何か違和感があったんですね、活動と法人化の順番が逆じゃないかって、、、

デザインってのは可能性のカタマリです。
デザインってのは自由のカタマリです。

そんなデザイン環境を自身が枠を作り領域を勝手に決めていたんじゃないか?

だから、枠をとっぱらいます。
自身の本名をつけた屋号でもって勝負します。

もちろん、今までの経験はムダにはなっていません。
「型」をしらなければ「型破り」はできません。

より以上に自由で、
より以上にキモチの豊かさを模索し、
より以上に潤いのある環境を目指します。

今後とも、よろしくお願いいたします。
深江章一http://fukae-web.net

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水曜日, 3月 26, 2008

環境問題と美意識

いよいよ、というかようやく日本でも京都議定書に伴う取組みが本格的に始まるって新聞で読みました。
インテリアに関わる人間としては、例の白熱電球うんぬんには本当にげんなりしています。
というか、エジソンは天国でどう思っているんだろう、、、笑)

この地球上で人間が他の生物とは違って、人間としていられた一つの要因に‘火’を操る事が出来た事だと思います。
火によって身を守り
火によって食習慣が出来上がり
火によって癒される。

我々人間にとって‘火’による外的、内的な影響は計り知れないものでそれは、白熱電球にだっていえる事だって思います。

光源というものを人工的なものと自然のものとで区別すると
太陽光は燃え盛る太陽の光が地球上を照らし出す自然な光。
蛍光灯は蛍光管内部のガスと電気エネルギーが衝突する時の科学的変化による発光で人工的な光。
LEDは発光ダイオードによる、これまた電気エネルギーによる分子レベルの発光で人工的な光。
それに対して白熱電球はフィラメント(炭素)を電気エネルギーで燃やす事によってできる光、
すなわちメラメラ燃え盛る太陽と同じ自然光とも言えるんですね。

蛍光灯やLEDは確かにエネルギー効率もいいんですが
光源としてとらえると単に「光」そのものであって『あかり』とは言えないと思います。
それは、燃え盛る炎から感じる人間が太古の昔から摺り込まれた心理的影響が人工光源には存在していないからなんですね。

今後、そんな光環境をどのように空間やランドスケープなどに取り入れ人々に感動や癒しや潤いのある環境を作っていくか?
我々にとっての大きな課題だと思います。
そもそも、現代の光環境は総じて明るすぎてて夜でも昼間の状態にしようとしすぎていると思います。
個人的には夜は夜らしく、必要な部分(手元、足元)に効果的に自然な光源で照らす方が豊かだと思うんです。

アインシュタインが今、生きていたらこんな情勢をどう表現するんだろう、、、
ガリレオは天国でどんな気持ちなんだろう、、、

あ、それから蛍光灯にはごく微量ながら水銀が入っていて、
それって大丈夫なのかな?なんて思います、、、

ハイブリッドカーが地球にやさしいって、様々な媒体を通じて消費者に訴求していますが僕はあれはまちがいで、「いままでよりは少しはマシ」にすぎないと思います。
自動車が走る事によって、空気が浄化されるとか、水しか出ませんとかなら、たしかに地球に優しいと言えますが、現状のレベルではまだまだほど遠いですね。
個人消費を促すツールとして環境問題をイメージさせるのは、本当にいかがなものかと思います。

原子力発電所の核廃棄物の問題などは地球にとっては本当に深刻な事だと思うんですが、
500年くらい地中に眠らせれば大丈夫。なんて本当でしょうか?

自然の恵みによって我々人間は生きながらえ、文化を持ち、豊かになってきたはずなのにあまりにも、その源に対しての敬意というか思いやりが無かったんだなぁーって思います。
地球や自然なものに対して思いやりと感謝をもって物作りに取り組みたいって思います。

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木曜日, 3月 06, 2008

表現者として。

職業として空間とそれに付随するあらゆるデザインに関わらせて頂いていますが、
ここ最近、異常に人と会う機会が多くて自分自身でハッとさせられました。
自分は「表現者」なんだといろいろな場面で再認識しました。

飲食店オーナーや物販店の社長さんがたも
しっかりそれぞれのご商売で自身の価値を表現してるんだなって感じます。
接客サービスに表現者としてのプライドやポリシーを感じる方々と関わり続けていきたいって強く思います。

仕事として取り組む以前に、どんなモノやコトであれ、カタチのあるないにもこだわらず、
自分の感性が刺激を受け反応しないと、
何も生まれなくて、何も表現しなくて、何も仕事にならない。
だから、出来るだけいい方向に反応出来るようにいつでも開いていないといけないって強く思います。

自分が関わった空間なりプロダクトって
作品って呼べるのか?って長い間、自問自答してきましたが、
誰か(何か)と関わり自分なりに表現したもので他の誰がやっても違う物になるであろう物には
自信を持って作品といわないと関わった誰か(何か)に失礼なんだとようやく感じました。

音楽だろうがアートだろうが料理だってファッションだって
表現の手法が違うだけで表現すること自体にはなんにも変わりがない事なんだって
重ーく再認識しました。同時に自分自身を再認識できて幸せな気分になった。
だから、デザインはアートとは違うなんてありえない。

どんなコトやモノであれ、
自分なりの表現ができる場に、
いかに身を置けるか?
これがオトナのキホンなのだって
いつか、自分の息子にも伝えてあげたい。

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木曜日, 2月 28, 2008

トークセッションを終えて




2/22にアップルストアでのトークセション「Miss Designデザインの新しい風」も無事終了し
現在、ポッドキャストにて当日出演したデザイナー初めおおくのデザイナーの紹介を配信しています。
また、当日のスナップも見る事が出来ます。
よろしければ下記へアクセスしてください。
http://web.mac.com/joshua4_/

当日素晴らしいトークでMCをしていただいた落合さんはじめ、
アップルストアのスタッフのみなさまに感謝します。

また、3/12にはキッズデザインシンポジウムがここ名古屋で行われます。
■概要
テーマ:あぶない!の科学と“ものづくり” in 中部〜家庭と社会における子どもの安心・安全 キッズデザイン〜

趣旨・目的:
経済産業省では、子どもたちの安全性の向上と健やかな成長発達に向けて“キッズデザイン”を推進していくにあたり、ものづくりと産業強化・活性化のためのキッズデザインの積極的な活用に取り組んでいます。
今回、医療関係者等による子どもの事故原因、事故防止対策の事例や、ものづくり企業や遊びの場を提供する企業のキッズデザインの取組について、広く紹介します。
 また、会場では第1回キッズデザイン賞受賞作品もご覧頂けます。
開催日時:
 平成20年3月12日(水) 14:00〜16:30
場 所:
 デザインホール ナディアパーク・国際デザインセンタービル3F
プログラム:
 14:00 第1部「あぶない!の科学と“ものづくり”」
 15:05 第2部 「子どもの安心・安全をみつめるキッズデザイン」
 15:45 第3部 パネルディスカッション
「あぶない!の科学からキッズデザインへ」

バリアフリーなんてワードもよく耳にしますが、業界的にはただ単純に段差、レベル差をなくす的用語として認識されているようですが、実はそうじゃなく段差も(少々の)危険な箇所も必要でそれをしっかり認識させるのが大人の役割でほとんどがコミュニケーションで解決できるはずなものなんじゃないかな?おもいやりやいたわる気持ちこそがバリアフリーの本質だと思います。
それぞれが勝手に作っている目に見えないバリアをとっぱらえるようなものも、デザインのチカラで出来るって思います。

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水曜日, 2月 20, 2008

JCD×Apple store Nagoya sakae

いよいよ明日になりました。
先日、某FM放送局にて最終の進行打ち合せを済まして
あとは当日を待つばかりです。

“Miss Design”デザインの新しい風

2月22日(金)18時より名古屋市中区栄のApple Store, Nagoya Sakaeにて”Miss Design” デザインの新しい風という空間デザイン系女子学生とのトークセッションを開催します。一般参加は無料ですので是非お越し下さい。
●落合健太郎氏(ラジオDJ)・中村茂雄・伊藤孝紀・丹羽浩之・深江章一氏(JCD会員)と中部在空間デザイン系女子学生とのトークセッション
 「聞く」だけのセッションではなく、32インチモニターでセッションテーマの映像を流しながら、学生の方もスピーカーのひとりとして参加して頂き自由闊達に意見を述べてもらいます。
●Keynote、iMovieで作成したJCD中部支部会員の作品映像が店内コンピュータでオンエア
 アップルストア店内では、JCD中部支部のプロフェッショナルな会員の空間デザイン作品がミュージックビデオ風映像で2時間の間放映されます。
●セッションの様子、会員の作品映像は、専用ホームページからPodcastとして配信 
 会員作品映像はPodcastとしてダウンロードでき、iPodで鑑賞することができます。(2月23日より公開)

お近くへお越しの際は是非!

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月曜日, 2月 04, 2008

なくてはならないもの。

自分自身、なくてはならないものがたくさんあって、それを無意識に、
あるいは意識して守ったり、勇気づけられたりしています。
みなさんはそれぞれにとってどれくらい、なくてはならないものがありますか?

で、それをデザインに置き換えてみるとシンプルにそのモノやコトの本質が
感じられてくると思うんですね。
フォルムやマテリアルからテクスチャ表現まで、
なんていうか、スーっとシンプルに突き抜ける感じが
「ああ、なるほどね」
につながるんじゃないかな。

素朴でも不完全でもいいから、
無理にカッコつけず、
(無意味な装飾は無くしてって事)
ありのままがいいと思うんですね。

デザインをコミュニケーション媒体だとしたら
そんなところから
新しいカタチが生まれてくるかも、、、

どんなモノでもコトでも
なくてはならないものを
しっかり見極め、
なくてはならないものと
しっかり向き合う事。

なんだか人生論の様ですが
デザインと(プロとして)付き合う上では
ゼッタイに、
なくてはならないものですね。

僕が尊敬する環境ディレクターの林先生の言葉ですが、

あるべきものが
あるべきところに
あるべきすがたで

美は質にあり、調和はこころにある。

永遠のテーマです。

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日曜日, 1月 27, 2008

美しいと思えるもの。

僕が職業としているデザインっていう職能は、
デザインという言葉が生まれる以前は、
応用芸術とか商業美術なんて言われていたらしい。

だから、やっぱりデザインって美術とか芸術とは共通点というか
生まれる過程ってよく似ているんですね。

美しいって思えるものって、色あせない何かが必ず宿っているって
最近、思っています。
店舗デザインっていうフィールドだけにいると、
商業性、時代性ばかりに気をとられ、
「あの店のあんなところにこんな事してる」
とか
「よし、じゃ次はあの素材をこんなふうに使ってやろう」
とか、なんだか競争してるかのように
サプライズってのを追いかけてばかりいるように感じます。

「所詮、デザインなんて使い捨てでしょ」
なんて空気をそこここで感じてしまう場面に出くわします。
そんな中では、
作り上げたばかりの状況では何も言えません。
でも、
時間が必ず物語ってくれるって思います。

■トークイベントの告知がUPされています
2/22 名古屋栄のアップルストアでのイベント告知がUPされています。
日本商環境設計家協会中部支部:web.mac.com/joshua4_/
アップルストア名古屋:http://www.apple.com/jp/retail/nagoyasakae/week/20080127.html
入場無料です!興味のある方は是非、おこしください!

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水曜日, 1月 23, 2008

ブルーモーメント

人間の感覚的情報収集能力って、かなりの割合で(80%と聞いています)視覚に頼っています。
僕たちの職能のなかで、造形表現、色彩表現の両方に密接に関係してて、
心理的にも作用しているのが光ですよね。

最近、日の出の時間がけっこう遅いので(6時半すぎあたりかな)ブルーモーメントな瞬間に出くわしたりしませんか?
日の出時刻のほんの少し前、15分くらいの間ですが
夜から朝に切り替わるほんの一瞬、ハッっとするくらい町中がブルーに染まります。

そして、だんだんぼんやりしてる形や色が実体化してくるんです。
ボーッとそんな風景を眺めていると自然に自分のアタマのスイッチも切り替わりますよっ!

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月曜日, 1月 14, 2008

KY,空気が読めるとか読めないとか。

普段、街なかで気になる事。
・音楽聞きながら、メールしながら歩いていたり、自転車乗ってる人たち。
・子供連れや老人が立っているのに、居眠りをきめこむサラリーマン。
こんな事書くと、僕も愚痴っぽいオッサンになったのかなぁー
なんて思いもしますが、こんな事から日本人の品格とか美意識などを考えてしまいます。

地球上の環境問題に対して、日本は技術力で貢献します。
って何かに書いてありましたが、
じゃ、ここ日本のどこでそんな対応が出来ているんだろう?
僕が無知なだけなのかな?

北欧じゃ火力発電の余熱で町中がセントラルヒーティングになってたり、
イギリスじゃ各家庭に白熱電球の替わりのLEDを無償で配ってたり、、、

割り箸がモッタイナイ!なんてよく聞きますが、
原料になっている間伐材は余りまくってるし、
割り箸を生産されている工場は潰れていっているし、
使用済みの割り箸って、けっこうな率で再生紙としてリサイクルされてたり、、、
それこそペットボトルのリサイクル率より高かったりして、、、

駅の構内など公共の場所での広告も雑多だなって思いますが、
やたらと注意書きなど行為を規制する文章が気になるんですね。

マナーっていうか、他人に対する配慮みたいなものって、
なくなっちゃったのかな?

人やモノに対して、
尊敬したり、いたわったり、感謝したり、、、
そんなキモチがデザインにはなくてはなりませんよねっ

ヨーロッパではデザイナーという職能が
政治家や哲学者や宗教者と同様に格付けされていると聞きます。
何もない所から新しい何かを創造する事って、実は最初は
何の後ろ盾もなく、社会的保証もあまりない事にもかかわらず、
品格のある立場として認められていると聞きます。

少なくとも、デザイナーとしての立ち振る舞いはもちろん、
人間としての品格ってものを意識していけば、
地球上の環境問題ももう少しいい方向に進んだりして、、、

■2/22にトークショーがあります!
名古屋のアップルストアのご協力で、
若手空間デザイナーとデザインを学ぶ学生のトークセッションがあり、
僕もパネリストとして出演します!
都合のつく方は是非、いらしてください!


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日曜日, 1月 06, 2008

用と美意識

昨年の暮れもギリギリに、なんとか会社の決算処理も終わり、
2008年を迎え、5日頃から動き出しています。
ここのところ、毎年、展望というか取組みをまずは考えるところからスタートしています。

タイトルにある‘用’というのは、
モノやコトをデザインしていく上での条件のようなもの。
用途とか機能とか。

造形を極力、シンプルにして
その機能や用途を浮かび上がらせる。
なんてことは、当たり前のようにやっているつもりですが、
機能美とか構造美ってのは
ただシンプルに‘用’のみを追い求める事じゃないって事を
改めて考えています。

あのパリのエッフェル塔の美しさは、
単純に構造のみを突き詰めていく過程において
必ず「美意識」があったのではないか?

よく、機能美なんていわれているプロダクトなどは
やはり美意識を持った上で、機能を追求するのではないか?

文化的だとか豊かさって、
ハッとしたり、ドキッとしたりする事って
けして金をかけて作り込む事じゃなく、
時間をかける事でもなく、
美意識を持って取り組む事なんじゃないかな。

全てのモノやコトにはデザインが介在しているって考えると
カタチにしていくなかでそれぞれに美学がなければ魅力が薄れ、
輝かないんじゃないかなって思います。
美術や芸術とは違う美学。
自身の美意識を今年もさらに磨いていき、
追求していきたいって思います。

ただただ単純に、
「あ、きれいだ」って思える事に
今年はどれだけ、めぐりあえるかな?

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